2018年2月5日月曜日

阪大、京大の出題ミス

前回取り上げたセンター試験の出題不備に続いて、今回は昨年実施された阪大、京大での出題ミスを取り上げます。実は規模こそ小さかったものの、20182月に実施された、東大大学院工学系研究科の物理学の入試問題でもミスがあったという。東大院工学系の場合は学部とは異なり、受験者数が100名余りと少ない上に、出題者が採点中にミスに気づき、この問題を選択した受験生全員を正答としたので、実害は発生しなかったという。外部からの指摘を受ける前に出題者自身が気づいた東大は、辛うじて面目は保たれたとはいえ、受験生の人生を大きく左右する入試の出題ミスは重大事である。東大、京大、阪大という、日本を代表する旧帝大のトップスリーの大学で、相次いで入試問題でミスが発生したばかりか、いずれも物理の問題でのミスである。とても偶然だとは思えない。出題ミスを誘う、何か共通した事情があるはずである。

その事情とは、国公立大学においては文系のみならず、理系においても基礎学問の軽視策が激烈に進んでいたのではないか。理系では、構造改革時、例えば文学部とその傘下にあった学科が全消滅したような消滅は発生してはいないはずではあるが、理系の基礎理論分野は縮小、削減され、産業化、すなわちカネ儲けに直結しそうな形での学部、学科編成がなされたのではないか。大学の予算配分に競争原理が導入されたばかりか、年々その縛りが厳しくなる中、短期のうちに目に見える成果を求められれば、成果としては示しようもない基礎理論分野はイヤでも淘汰されざるをえない。

この間、産学連携も進み、双方にとっては世界が拡がり、プラスに作用した面も多々あったことと思われるが、即応用可能な研究ばかりが学問ではないことも事実である。というよりも、直接的には産業化とは直結しないような基礎学問、基礎理論の探求こそが、多様な応用力を育む最上の胞衣(エナ)である。ノーベル賞を受賞した日本人学者の体験談は一人の例外もなく、この事実をその身で実証しておられるばかりか、日本の研究環境の悪化を憂える言葉としても同趣旨の警告を発しておられる。建物も基礎が杜撰、貧弱ならば、使い物にはならないことは子供にも分かる道理であるが、現在の日本では、こんな単純な道理すら通用しなくなっている。


今回のトップスリー3大学での物理の出題ミスは、技術立国日本の基礎がきわめて脆弱化していることを、如実に示したものだと見るべきだと思う。日本の文部行政が基礎研究環境を破壊してきたのであるが、文科省は自らの責任は全く感じていないらしく、出題ミスが発生した場合の通報窓口を設置しただけである。文科省が主導した大学の大再編策は1990年代末頃から始まったが、20年近くも経てば、基礎理論も完璧に押さえていた教授陣も第一線からは退いてしまっているはずである。時を同じくして、トップスリー3大学で出題ミスが発生したのも、その防波堤がなくなった結果ではないかと思う。まさかとは思うが、トップスリー大学までもが入試問題の作成を、予備校に依頼するという事態に至らぬことを切に願うばかり。

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